前編の続きです。
ミラーを付ける理由
後方の把握
当たり前ですが、後ろがわかったほうが、サイクリングは安全です。一番怖いのは、大型車に不意に追い抜きされる時ですね。ドキッとします。できれば早めに察知して、安全に追い抜いてもらえるよう、こちらもスピードを落としたり、ハンドルをしっかり握ったり、なるべく左に寄ったり、そういう準備がしたいです。なので、交通量の多い道路ほど、ミラーを見る頻度は増えます。
また、交通量が少ない道路でもミラーは有用です。たとえば、交通量が少なく景色の良い道路の場合、後ろに自動車がいないことが確認できれば、しばらく景色に意識を向けられます。
もちろん、ミラーが無くても、目視すれば済むのですが、いちいち後ろを目視するのはやや面倒です。その点、ミラーがあれば、ミラーをチラ見すれば済みます。体感ですが、私は平均して1分間に1~2回ほどミラーを見ます。1分間に1~2回も後ろを目視する自転車乗りは、まずいません。
コミュニケーションツールとしてのミラー
例えば、大型トラックが後方から近づいてくるのがミラー越しに見えた場合ですが、ミラー越しに見えていても、あえて目視します(可能なら2回ほど)。そうすることで「気付いてますよ」というメッセージを相手に送ることが出来ます。この「気付いてますよ」のメッセージで、「少し怖いです」「なるべく安全に追い抜いてくださいね」というニュアンスも伝わります。このようなコミュニケーションをとることで、「お互い人間ですよね」という意識が共有されます。
一方、そういったコミュニケーションが全くない場合、大型トラックから見て自転車は、単なる障害物にすぎません。逆もしかりです。お互いが相手を人間として認識してなければ、安全意識は高まりようがありません。
こういったコミュニケーションをなるべく早めに開始するために、ミラーが便利です。ミラーが無い場合は、気配がしてから後方を目視することになりますが、それではコミュニケーションしてる時間がありません。
道交法? コミュニケーション?
上記のような議論に対し、このような反論があるかもしれません↓
お互いが相手を人間と認識せずとも、道交法が遵守されていれば、事故はおきない。安全を担保するのは、一義的には道交法であり、コミュニケーションではない。つまり、サイクリングにミラーは不要で、自転車乗りは進路変更時以外は前を見て運転すれば良い。自転車が直進している限り、安全に追い抜く義務はドライバー側にある。
もちろん法は法です。道交法を遵守することは絶対必要です。しかし実際の道路では、ドライバーは様々な事情に影響されながら運転しています。もしかしたら、何かの事情で、無理な運転をしてくるかもしれません。
そのような状況で、サイクリストは、どのように自分の身を守れるのでしょう。道交法は絶対的な法律ですが、世間のドライバーが100%遵守してくれると思いこむのは危険です。ドライバーは道交法を遵守しているはずだという前提が無ければ、サイクリングなんて恐ろしくて出来ないわけですが、過信もできないのですよね。
キャリアカーや重機運搬車などの大型トラックに追い抜かれる間、サイクリストは結構な恐怖を感じます。自分の命が相手にゆだねられた恐怖です。ドライバーのハンドル加減で、サイクリストの生死が決まります。そんな中、自分の生存率を少しでも上げるための最後のワンプッシュ、それが「お互い人間ですよね」のコミュニケーションなのかなって思います。言い換えると、自分の命を他人にオマカセしないってことですね。
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自転車はサドルの上の引きこもり、なんて言われますけど、お互い安全に、気持ちよく走るために、コミュニケーションできるといいですね。
以上です!!(おしまい)