中原中也的サイクリング

遠くの空を見やりながら…

とつぜんですが、中原中也的サイクリングとうものについて、書きます。

と言っても、中原中也さんは、実家がお金持ちで、大変厳しく躾けられ、自転車に乗ることが禁止されたせいで、自転車には乗れなかったとのことですが…。

しかし中原さんの書いた詩で「早春散歩」という詩があるのですが、不思議なことに、まるでサイクリングの詩みたいです。タイトルからすると、2月のお散歩のことを書いた詩なわけですが、サイクリストの皆さんから御覧になって、どうでしょう。

空は晴れてても、建物にはかげがあるよ、
春、早春は心なびかせ、
それがまるで薄絹うすぎぬででもあるように
ハンケチででもあるように
我等の心を引千切ひきちぎ
きれぎれにして風に散らせる

私はもう、まるで過去がなかったかのように
少なくとも通っている人達の手前そうであるかのごとくに感じ、
風の中を吹き過ぎる
異国人のような眼眸まなざしをして、
確固たるものの如く、
また隙間風すきまかぜにも消え去るものの如く

そうしてこの淋しい心を抱いて、
今年もまた春を迎えるものであることを
ゆるやかにも、ここに春は立返ったのであることを
土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら
土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら
僕は思う、思うことにも慣れきって僕は思う……

中原中也『早春散歩』、1968年

いい詩じゃないですか!? ここを読んでいる方の大半はサイクリストでしょうから、刺さった方、多いんじゃないでしょうか。

以下、この詩の感想を書いてみようと思いますが、「十分刺さった!」という方には蛇足ですので読み飛ばしてくださいね。本当に単なる感想文ですので…。


*************

空は晴れてても、建物にはかげがあるよ

早春って、2月~3月初めなんだそうです。この時期はサイクリングしてると風が冷たいです。特に耳が痛くて千切れそうって思います。

春の気配は日増しに感じられますが、それでもまだ日影に入ると、ウォッ、寒!ってなります。「空は晴れてても、建物にはかげがあるよ」というのは、あのヒンヤリした感じを思い出させます。

語尾の「~あるよ」は親しみというか、子供みたいな無垢な感じがしますが、これは油断を誘う罠です。このあとすぐ豹変します。

我等の心を引千切ひきちぎ
きれぎれにして風に散らせる

ひゃ~、おそろしい。たかがお散歩、たかがサイクリング。なのにこれは一体どうしたことなんでしょう。でも、お散歩だから、サイクリングだから、ここまで内面を掘り下げてしまうということなのかもしれません。

2月の空気は、身を切るような冷たさで、その中をビョォォォォォーッと風に吹かれていると、心の中まで凛としてきて、妄執や執着心がリセットされて、クリスタルな存在になっていくような気がします。

私はもう、まるで過去がなかったかのように

大変です。過去の記憶までリセットされてしまいました。でも、自分の属性が一切はがされて、自分がただの自分になってしまう感覚、サイクリングしてるとありますよね!?(私はあります!)

少なくとも通っている人達の手前そうであるかのごとくに感じ、
風の中を吹き過ぎる
異国人のような眼眸まなざしをして

自分の過去が消え、自分がただの自分、ありのままの自分、名前の無い自分になったとしても、周りの世間はそのままです。

私事ですが、私は住んでいる場所柄、よく関内を通るのですが、あそこらへんは役所があったりオフィスがあったりのお堅い街なので、サラリーマンが沢山います。平日の朝、スーツ姿のサラリーマンがゾロゾロと出勤する横を、私がヨレヨレなラフな格好でチャリを漕いで通り過ぎるわけです。そしてお互いを「なんだこいつは…」みたいに異国人を見るかのような眼眸まなざしで眺め合う、そんな関内でのワンシーンが思い出されました💦

関内

確固たるものの如く、
また隙間風すきまかぜにも消え去るものの如く

走れば走るほど自分らしい自分になったように感じつつ、また、よるべない感じもしつつ…、

そうしてこの淋しい心を抱いて、
今年もまた春を迎えるものであることを
ゆるやかにも、ここに春は立返ったのであることを

やがてやって来る春が、自分の気持ちを紛らわせてくれるわけではないことを知りながら…、

土の上の日射しをみながらつめたい風に吹かれながら
土手の上を歩きながら、遠くの空を見やりながら

河川敷サイクリングロードで、ハァハァしながら、風に吹かれながら、ただ走りながら、ふと遠くの空を見て…、

僕は思う、思うことにも慣れきって僕は思う……

一体何を思っているのか、よくわからずじまいですが、それでも思うことをやめられない、その生産性の無さがサイクリングな感じです。どんなに生産性が無くても、本人にとってそれは必要なことなことなので仕方ないんですよね。

この詩の後半部分では、「如く、如く」「ことを、ことを」「ながら、ながら」と語尾を繰り返すことで、胸に迫るような、切迫した感じを出しています。これがなんとなく、ロングライドで強度をあげて、ハァハァしているときの感じに似ています。別にタイムを競っているわけでもないのに、なぜか時々、息が苦しくなるまで漕いでしまう、あの感じに。

一人称が、我→私→僕、と変わるのは、心境の変化があったんでしょうね。それは、サイクリングする前、最中、後の心境を考えると、わかりみが深いです。

余談ですが、この最後の終わり方は、ちょっとオザケンっぽい感じもしますね。

いつの日か; oh baby
長い時間の記憶は消えて
優しさを; oh baby
僕らはただ抱きしめるのか?と
高い山まであっというま吹き上がる
北風の中 僕は何度も何度も考えてみる

小沢健二『さよならなんて云えないよ(美しさ)』、1995年


以上です!
ありがとうございました。
(おしまい)

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