「趣味はサイクリングです」←これ

サイクリングは楽しいけど……

「趣味は?」って聞かれたら「サイクリングです」って答えます。ここを読んでいる人も、そういう人が多いと思います。趣味がサイクリングなのは、本当のことですし、隠す必要もない事ですので、そう答えるわけですけど、私には少し、躊躇する所があります。皆さんはどうでしょうか。

私は自転車に乗るのが好きです。サイクリングをエンジョイしています。ロングライドでは、6~7時間走るのもザラです。でもそれが、心の底から楽しいか、というと、ちょっと違うのですよね。

良く晴れた休日の過ごし方として、6~7時間もひたすら走るというのは、果たしてどうなんだろう、と思います。しかも一人で。孤独に。

普通の人生を送っている人であれば、こんな晴れた日は、恋人や友人と出かけたり、家族と過ごしたりするんじゃないでしょうか。スポーツをするにしても、たとえばフットサルとか、テニスとか、そういう友達とプレイするスポーツをやるんじゃないでしょうか。それなのに、何が悲しくて、良く晴れた休日に、6~7時間も、ひたすら孤独に、ペダルをクルクル漕いでるのだろう……、そう感じます。

もちろん、サイクリング中に常にそう感じているわけではありません。基本的には、サイクリングは爽快ですし、気持ちが良いですし、開放感を存分に味わえますし、最高なんですけど、その最高な気分の奥底に、少しだけ「何が悲しくて…」という気持ちが混じっているのですよね。

この「何が悲しくて…」という感情は、すごくネガティブな感情ですけど、この感情から目を背けることは出来ないと、なぜかそう思います。おそらく「何が悲しくて…」的な人生をどうにかしたくて、でもどうにもできないから自転車なんかに乗っている、というところが、多かれ少なかれ有るからなんだと思います。なのでこの感情は、言ってみれば、サイクリストとしての私の聖痕というか、原罪のようなものに思えるのですよね。

ですので、「趣味はサイクリングです」という発言は、どこか「私には問題があります」というニュアンスを帯びているように思えます。もちろん、そのニュアンスが相手に伝わる可能性はほぼ無いでしょうけど、発言する側としては、ある意味、心の告白なのですよね。「趣味はサイクリングです」と言うときに、私が少し躊躇するのは、そこのところです。

Twitter を見てますと、「今日たくさん走った!きぶん最高!(写真パシャ)」みたいなキラキラした tweet をよく見かけます。けど、私から見ると、どこか嘘っぽいというか、誤魔化しているというか、表層的な感じがしてしまいます。サイクリングは確かに最高ですけど、「何が悲しくて…」的な部分を捨象してしまうと、リアルじゃないのですよね。本当はあなた、そんなキラキラした人じゃないでしょ、と。だからこそ、表層だけでもキラキラしていたい、ということなのかもしれませんけど。

もしかしたら、考えすぎなのかもしれません。でもそういう性分だから自転車なんかに乗っているんでしょうね、私は。アハハハ。

おしまい

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