自転車乗りの死生観

ご冥福をお祈りします

ときどき、道路の脇などに、お花がお供えしてあるのを見かけます。なにか事故があって、どなたかが亡くなられたのでしょう。どんな事故だったのかはわかりませんけど、「亡くなったのは自転車乗りかなぁ」という気がしてしまいます。もちろん、本当のことはわからないのですけど。

自分もいつか事故で…というのは、自転車乗りの方だったら、多かれ少なかれ、感じてることかと思います。なので、道路の献花を見かけると、つい、自分の身に引き寄せてしまいます。つまり、他人事ではないのですよね。

そう思うことで、自分の安全意識を高めている、という面も有るのですけど、サイクリングを通じて見えてくる世界観といいますか、自転車乗りの命の重さ(軽さ)みたいなものを、ふと考えたりします。

私は結構な頻度で自転車に乗っていますので、死ぬとしたら事故死かなって思います。病気や寿命で死ねたらラッキーかなって感じです。もちろん、安全運転には日頃から気をつけてますけど、こればっかりは運もありますし、願わくば、あんまり悲惨じゃない感じで…という気持ちです。

もし私が事故で死んだとして、私にも誰かが献花してくれるのかな、なんて想像すると、何となく照れくさいですね。もちろん、死んだ後の話ですので変なんですけど、もし可能でしたら、そういうのは無しで、とお願いしたいです。私のガラじゃないのですよね。

私は、自転車に乗っている時の自分が、一番自分らしいって思います。自分のままの自分って気持ちがします。サイクリングをしていると、日常の諸々から解放されて、素の自分といいますか、ただの自分といいますか、自分のままの自分になれるって感じがします。私の言葉で言わせていただくと、名前の無い自分って感じです。

U2の曲で、Where The Streets Have No Nameって曲がありますけど、あれ、カッコいいですね。曲もカッコいいですけど、タイトルがカッコいいです。名前が無い道で。ん~カッコイイ。

名前の無い道を走って、名前の無い風に吹かれて、名前の無い世界を走って、名前の無い自分になる、みたいな境地が、私の理想のサイクリングなんですよね。

いつも思うのですけど、サイクリングをしていて、風が爽やかなのは、風には名前が無いからですね。サッと吹いて後には何も残りません。

風に名前が無いように、雲にも名前がありませんし、空にも名前がありませんし、鳥にも名前がありません。サイクリングの世界は、名前が無いものだらけです。だからサイクリングは爽やかなのかなと思います。

サイクリングって、そんな名前の無い世界の一部になることなんじゃないかなって思います。サッと吹いて、消えて、後には爽やさだけが残る、5月の風みたいな存在。自転車乗りって、そういう生き物なんじゃないかなって思います。

命って、本来は重いものなのでしょうけど、私の思う自転車乗りの命は軽いのですよね。それは悪い意味ではなくて、5月の風みたいな、そういう軽さなのですよね。

おわり

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