サイクリングとエコロジー(百万年)

原発で一番こまるのは、核のゴミですね。

なかでも、とくに放射能レベルが高いのが、高レベル放射性廃棄物(HLW)です。HLWは真横に人が立つと20秒弱で死に至るほど強い放射線をだすので、これはもう、どうすることもできませんなので、地面の深い場所に埋めることになっています(地層処分)。

地層処分したHLWはその後、

  • 10万年後:ウラン鉱石と同等の放射能レベル
  • 100万年後:自然放射線レベル

という長い年月で無害化されます。

10万年とか100万年とか、ちょっと想像つきませんが、どういうタイムスケールなんでしょう? 有識者にきいてみました。

氷期と間氷期の周期が10万年なので、100万年で、このサイクルを10回くりかえすことになります。

そのたびに、氷河が前進・後退を繰り返し、海面は100m以上も上昇したり下降したりします。

日本列島は複数のプレート上で、数十〜100kmほど移動・変形し、一部は隆起し、一部は沈み込み帯に取り込まれます。

過去の100万年間で人類は、総個体数1万以下となるような絶滅的な人口減少を経験しました(ボトルネック効果)。これからの100万年でも、同様のボトルネックが生じるかもしれません。

ホモ・サピエンス以前の人類(ネアンデルタール人、ホモ・エレクトス、ホモ・ハビリスなど)の種の寿命は100万年以下であったことから、ホモ・サピエンスも100万年後には絶滅し、あたらしい人類種に置き換わっているかもしれません。

まとめると、100万年後、いまの言葉や文化や国は消え、人類は我々の直系の子孫ではないかもしれません。

いやはや…😅
とんでもないタイムスケールです。

100万年後の未来は、いまの世界とは全く異なってそうです。すくなくとも、我々の生活の延長線上にある感じはしません。あまりにも遠すぎる未来なので、正直、知ったことかよ、という感じもします。

池田信夫先生のこの御発言も、知ったことかよの延長線なのかもしれません。「100万年先の人類や地球のために、いま私たちが犠牲を払う必要はない」という。一理ある気もします。

とはいえ、なにもかも許されるわけではない、という気もするんですよね。ロングライドしてると、ふと、そんなことを思う瞬間があるというか……

サイクリングしてると、ごくまれに、頭の中がスッカラカンになって、大きな世界のなかに自分が再配置されたみたいに感じるときがあります。世界は大きな一つの存在で、自分はその一部で、自分と世界がダイレクトにつながったような、そんな感覚です。

道は通るためのもの、風は涼むためのもの、空は天気の情報を与えるものだったのが、その枠が一瞬はずれ、世界がただそこにあるものとして立ち現れます。そのときは、自分もただ生きているだけの存在です。理由なく存在する自己は不安定ですが、世界がそれを支えていることに気づきます。

歓びと不安、親密さと異質さが入り混じった、言葉にしがたい感情が湧いてきます。「自然」「世界」「自由」「永遠」といった言葉が言葉としてではなく感じられ、永遠がなければ世界も自由も存在しないんだなぁ、なんて思ったりします。

人間に必要な自由は色々あるにしても、人間の手が及ばない外部の存在があるからこそ感じられる自由ってのもあるんだなぁ、なんて思ったりもします。

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100万年は、永遠に匹敵するタイムスケールです。HLWは「永遠性」に抵触するので、そうなると、今を生きる我々の自由が損なわれる、というのが私がおもうエコロジーかな。エコロジー本来の意味とはずれているかもですが、でも、サイクリングしてると、ふと、そんなことを考えたりしますね。

(おしまい)

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